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東北旅行・5年経った「七ヶ浜」 [東日本大震災]

 去る4月14日(木)21時26分、私の生まれ故郷「熊本県」を中心とする大きな地震がありました。母方の親戚とは今も親しくしていますが、震源地に最も近い熊本市内の従妹や、八代市の母方の伯父・伯母が避難を余儀なくされてはいますが、皆さん無事が確認出来た時には、涙が出ました...。

 被災された皆様には、謹んでお見舞い申し上げます。また、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 そして、皆様の安全と被災地の一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。

 ちょっと時間が経ってしまいましたが、既報のとおり3月30~31日の日程で仙台方面に出かけました。目的の半分は、5年前お世話になった「塩竈教会」に御礼を言いに行くことと、塩竈周辺で最も被害が大きかった「七ヶ浜」の現状を見て回ることでした。

DSC_2071_250.JPG
※「塩竈教会」。残念ながらお留守でしたが、記帳しておいたところ、後日ご丁寧にお手紙を頂戴しました。

 震災の年の6月から7月にかけてののべ2週間、「塩竈教会」で寝泊まりさせていただき、松島の外海にある「浦戸諸島」や塩竈市内で作業をしました。当時は再就職活動中でしたので、独立を決めた後のこの短い期間お手伝いするので精一杯...。(;_;)
 また、クリスチャンでもない我々を受け入れてくださって、暖かく美味しい食事を提供し、作業に集中できる環境を整えてくださった「塩竈教会」の方々、そしてサポートに駆けつけてくださっていた全国のカトリック教会の方々に、改めて心から感謝を申し上げます。

 ありがとうございました。

http://curio-atsugi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-11
 ※当時のことを、少し詳細に書いてあります。

 塩竈周辺で最も被害が大きかったのが「七ヶ浜」と言う町ですが、「塩竈教会」に新しいメンバーが加わるたびに、このエリアを見せて廻って、津波のすさまじさを感じてもらうというのが慣習っぽくなっていました。今回の旅行では、家族に私のわがままを聞いてもらって、一日目の松島散策後は、タクシーで「本塩竈駅」から、「塩竈教会」→「七ヶ浜」と廻りました。妙なお願いをしたタクシーの運転手さんが七ヶ浜にご自宅がある方で、色々な話が聞けたのはラッキーでした。福島と違って原発の影響はない「七ヶ浜」ですが、現状は「5年経っても、この程度?」と言うのが正直な感想。部分的には、がれきと水がないだけで、当時とあまり景色が変わっていないと感じたエリアもありました。仙台と目と鼻の先のエリアですら被災地の現状はこんなもの。復興なんてまだまだ先のことです...。

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「七ヶ浜」から多賀城の宿までは、最短ルートではなくソニー仙台テックの前を通っていただき、海から離れたこんなところまで津波の被害に遭っていること、そしてソニー社員が発泡スチロールの梱包材でイカダを作って、近所の幼稚園の子ども達(おそらく「桜木花園幼稚園」)を社内に避難させて一夜を明かした話等も娘に聞かせました。今回は、娘に震災のすごさを少しでも感じてもらうことも目的の一つでしたが、どの程度感じてくれたのか...?

 話は前後しますが、松島の遊覧船からは、私も2日間作業をした「桂島」が間近に見えました。私が作業をした海水浴場も見えましたが、その左側の家屋が密集して見えるエリアを、なんと津波が横断しているんです。津波の勢い、すさまじいです...。

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 今、寄付をする程度しか生まれ故郷の熊本県へのお手伝いは出来ませんが、東北への身体を使ったお手伝いは細々と続けます。今年も、6月30日(木)~7月2日(土)の日程で南相馬市小高地区に行ってきます。
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